< Artwork 2025.2 >
Deviation from the Cosmic Latte phenomenon
- コズミックラテ現象の逸脱 -「#01-#04」
#01 コズミックラテとは?

コズミックラテ (Cosmic Latte) とは、宇宙全体の平均的な色を指す名前。この名称は、2002年にアメリカの天文学者たちによる研究で生まれた。
彼らは、星、銀河、恒星間ガスなど、観測可能な宇宙の光をすべて平均化した場合に現れる色を計算し、人間の瞳から見ると薄いクリーム色やラテのような色であることを発見。
これまで宇宙の色といえば漆黒或いは紺色の印象があったため、この発見は人々に意外性をもたらし、全体の”調和性を可視化したもの”という関心を集めた。
今後宇宙の色は、
若き青い星の減少/成熟した赤い星の増加 によって長い年月と共に少しずつ赤みを帯びていくと推定されているが
「赤方偏移(せきほうへんい)による色彩のズレ」と
私たち人類の「有限的な時間感覚」、「知覚の限界によるダークマターの虚無化」により、
私たちの視覚では、その変化を捉えることは難しいであろう。
さあ、この事実。
それすらも錯覚だったなら?
#02 視点の変化と認識の限界



今見えているすべては、たった一つの明らかな事実によって、安易に覆されるものである。
その地点でどれだけ思慮深く見つめていようとも、
今より先の「たった一つの明らかな覆し」によって、
どれほど一面的/一時的なものの見方しかしていなかったかを、私たちは痛感させられる。
そこで初めて”想像力の欠如”を
不甲斐なく思い知らされるのだ。
現状を”判断している”限り、
私たち人間は自らの意志ではなく、
受動的な言動によって
“分断を生み出そうとする生き物”なのである。
受動的な、この分断。
私たちはそれを、本当に望んでる?
#03 宗教性と権力、集合的無意識

「人々の意識に潜む、宗教性ー。」
内在的な偶像権力者(自分の言動と振る舞いに強く影響を及ぼす他者)の言動によって翻弄され、多面的な確認を怠りながら他者へのジャッジを即座にコメントする私たちは、
様々な思い込みによって、そのレベル以上のものの見方をしない傾向にある。
つまり、判断が軽率なのである。
軽率さは、関係性及び自身への惰性である上に、暗に火種を含んでいる。
権力者は、
それその者が「そうだ」と断言しているのではない。
そのカリスマ性に翻弄された周りの者たちによって導かれる”小規模の集合的無意識”によって、
盲目に崇拝されるのである。
また時に、
翻弄された者たちによって権力者は盾や的として扱われ、権力者が裸の王様のように”周囲の者に翻弄させられる”場合も多々あるのである。
権力者は一個人に過ぎないにも関わらず、教祖役として過剰に特別扱いを受けてしまうという、人間の意識構造。
既にその構造内部にいることに気づかないほど盲目に傾倒している場合、
果たして私たちは、
透明性を持ってジャッジ/意見/主張していると言えるのだろうか。
人間が本来本質的に浅はかであり、影響し合っていると弁えることは自身の尊厳を尊く扱うことへと導かれ、
そしてそれは自我ではなく
「自己の純粋な言動」へと続いていくもの。
しかしそのほとんどの崇拝関係には「承認された」という悦の裏側で、恐怖心と危うさが常に生じ、自ら抜け出すことが難儀である。
だからこそ、
内なる *シャドーからの強烈な排除又は崩壊によって「盲目的・宗教的であった」と自我に”気付かせる”他ないのである。
気づけなくさせているのは他でもない、
自我が形成した”失うことへの恐れ”なのだろう。
…ここで終わりじゃない。
核心へ触れるフェーズへ。
*シャドー
心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した概念で「無意識の中に隠された自分の否定的な側面や受け入れたくない特性」のこと。自分が認めたくない欲望や恐れ、怒りなどがシャドーに含まれる。
#04 コズミックラテ現象の終焉



「 “不純” である本質を認める 」
そこで初めて人間は、
自己と切り離された他への信仰/傾倒/共依存ではなくoriginである ” 自己と深く繋がった信仰 “
を模索し始めるのかもしれない。
皮肉なことに、
排除こそが”自己調和への本当の一歩”となり、
先の恐れは、そこで初めて”自己承認”される。
群れ・社会・コロニーという調和性から排除され、崩壊し、逸脱することのその実は
“喪失体験” ではなく “本質”へと至る花向け。
そう。
「 新たなる調和 」への道筋なのである。
増え過ぎた種(影響)は、淘汰される。
そして再び、芽吹きゆく。
私たち人間社会の構造は、自然界そのもの。
…循環はまさに今、生き続けている。
そうした新たなる自己調和の最中、
“コズミックラテ現象”は
私たちに聴かせる音もなく、
その役目を静かに終えていくー。
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“This is my artwork, but it was also shaped by the presence of the forest, the wild owl, and the wild boar.”
私の作品は、森や野生の梟、野生の猪の存在によっても形作られた。